FOR SURVIVORサバイバーインタビュー

ハート

乳がんになって今だから思うこと②[井浦玲子]

家族や支えてくれた人

「先日の精密検査の結果を説明したいのですぐ来てください」
仕事中に検診センターから電話がかかってきたのは2010年のクリスマスイブ。

先生はゆっくり話がしたいからと診療時間外に時間を作り「乳がんで間違いないでしょう」と丁寧に説明をしてくれました。すぐ職場に報告しなければと思ったけれど、誰かの声を聞いたら涙が溢れてしまいそうで携帯はそっとポケットにしまいました。そして自然と足が向いたのは生まれ育った、そして両親が眠る鎌倉。子供の頃から馴染みの道をひとりあてもなくふらふらと歩きまわりました。

これからどれだけの人に迷惑をかけてしまうのだろう・・・

両親を看取り、離婚をして、戸籍は私ひとり。「さぁ、これからひとりでも頑張ろう!」と思った矢先に見つかった乳がん。私40歳。

おひとり様のがん治療が始まりました。

最初に心配したのが、もし重症になりひとりで動けなくなってしまったら一体どうなってしまうのだろうということ。色々調べると「40歳から末期のがんと診断された場合は申請することで介護保険が使える」ことがわかりました。使える制度があることを知り「あぁ、ひとりでも何とかなりそうだ」とほっとしたのを覚えています。

東日本大震災が起きた2011年3月、余震や計画停電が続く中、私は手術を受けました。弟夫婦と親友は、入院中ずっとそばに居て支えてくれました。麻酔から醒めた時、隣にちょこんと座っている親友の姿を見て安心して再び眠りにつきました。私が乳がんと分かった時、彼女は「どう声を掛ければいのか、どう接したらいいのかわからない」と正直に言ってくれました。「今まで通りでいいのよ、いつものように笑わせて!」と伝え、今でも会えば大爆笑しています。

入院中はたくさんの友人がお見舞いに来てくれました。また、メールや手紙でたくさんの励ましの言葉をくれました。入院中に使ってねと、ルームシューズやストール、ハンドクリーム、お茶やお茶菓子、リハビリ用品などおしゃれで気の利いたグッズをたくさんいただきました。退院後はご飯に行こうと誘いだしてくれたり、大好きなアーティストのライブに行ったり、旅行に行ったり、ドライブに行ったり、今までと変わらずいつも通りでいてくれることが何より嬉しかったです。

そして、同じがんサバイバーの仲間との出逢いは最強の心の支えでした。この病気にならなければ決して出逢わなかった仲間がいます。インターネツト上の乳がん掲示板では、苦しい辛い思いをぶつけました。すると多くの経験者が「大丈夫、私も同じでしたよ。」と声を掛けてくれたのです。見ず知らずの方の優しい言葉にたくさん励まされ勇気をもらいました。乳がんの仲間が歌うゴスペルは私に再び歌うきっかけをくれました。乳がんの事をもっと知りたくて学んでいく中で知り合った仲間も大切な存在です。それぞれの分野で活躍されている同志の姿はとても刺激的で私の目標でもあります。患者会では、そこに集う仲間に私自身も励まされ支えられています。一緒に泣いて笑って「おばあちゃんになっても一緒にお茶しようね」と声を掛けてくれる仲間がいます。また、お空に行った仲間もいます。きっと空の上からいつも笑顔で見守ってくれています。私も彼女のように力強く生き切りたいと思っています。

おひとりさまのがん治療。告知の時もひとり、検査の時もひとり、病院へ行くのはいつもひとりでしたが、決して心はひとりぼっちではありませんでした。他にも主治医や病院スタッフ、職場の仲間、歌の仲間、大好きなミュージシャン、そして大好きな彼・・・

私を取り巻くすべての人たちが、
かけがえのない大切な仲間が、私を支えてくれています。

たくさんの優しさをありがとう。そしてこれからも宜しくお願いします。
 

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